ロンドン東部、クイーン・エリザベス・オリンピック・パークの一角に、その「宇宙船」は停泊している。ABBAのためだけに建てられた専用会場、ABBAアリーナだ。Japan Expo Paris 2026の取材最終日、712日。筆者はパリからロンドンへ移動し、20225月の開幕から4年、いまも毎晩のように満席が続く「ABBA Voyage」を観てきた。そこにあったのは懐メロショーではなく、名曲が「クラシック」へと昇華する現場だった。

(取材・文:MEDIAMIXI編集長 榎本幹朗 7/12 ロンドン ABBAアリーナにて)

1979年のABBAが、そこにいた

場内が暗転し、歓声の中に4人が浮かび上がる。若い。全盛期の、あのABBAだ。曲間でビョルンが語りかける。「50年の時を超えて、こうして皆さんの前で演奏できて嬉しい」——場内の空気が、一瞬で50年前と現在の二重写しになる。

種を明かせば、ステージ上の4人は俳優でもホログラムの使い回しでもない。アグネタ、ビョルン、ベニー、フリーダの本人たちが5週間にわたるモーションキャプチャ収録を行い、『スター・ウォーズ』のILM(インダストリアル・ライト&マジック)が約1,000人がかりで作り上げた、全盛期の姿のデジタルアバター「ABBAター」だ。まとうのはドルチェ&ガッバーナが手がけた衣装。曲間のMCも、本人たちが事前収録した語りをアバターが話している。つまり「ビョルン役」の誰かがいるのではなく、ビョルン本人がそこにいるのだ。演出のベイリー・ウォルシュ監督は開幕前のインタビューで、これは故人を甦らせる追悼ショーではなく、生きている本人たちが膨大な時間をかけて撮影に参加し、ショーの心臓と魂になっているのだと語っている(Time Out202112月)。

つまりこのタイムスリップは、70代の本人たちが「50年前の自分」を自ら演じ直した結果なのだ。ヘアフリップの癖、はにかんだ笑顔、当時のダンスの間合いまで——メイクや衣装のコピーではなく、本人の身体記憶がそこで動いている。ここまで全てを本気でやるから、時間の壁が消える。

ネオンと鏡の時代を、物理で拡張する

驚くべきは、この没入感の主役がCGではないことだ。当時のABBAの演出といえば、紫や緑のネオン、そして鏡を使った分身のような映像カット。ABBA Voyageはその「70年代のセンス」を、最新のハードウェアで物理的に拡張する。天井からはUFOのような巨大なリングが降下し、スマートライトが仕込まれた無数の縦棒が、コンピュータ制御で波のように上下する。500基のムービングライトと291基のスピーカーを備えた3,000人収容の専用アリーナ——箱そのものが楽器であり、空間そのものが演出装置なのだ。

VRゴーグルも3Dメガネもいらない。目の前の空気が実際に動くから、身体が没入する。デジタル(アバター)とフィジカル(空間演出)の役割分担が、設計思想として貫かれている。

ただし、注文もひとつ。本人たちがステージを離れる幕間には、『ゼルダの伝説』を思わせるファンタジー調のアニメーションMVや、アバターに未来的なコスチュームをまとわせた映像がしばらく流れる。2022年の開幕当時——生成AIの創成期——には最新の映像表現だったのだろうが、映像技術の進化が加速した今となっては、ここだけ技術的な古さを感じた。物理演出が時代を超えている分、映像パートの経年が目立ってしまう。ここはアップデートしたほうがいいし、ロングランを続ける以上、おそらく制作側もそうするだろう。

ステージ左に、生バンドがいる理由

オペラが舞台の脇にオーケストラを置くように、ABBA Voyageはステージ左に10人編成の生バンドを配置する。メンバーにはクラクソンズのジェームス・ライトンやリトル・ブーツといった英ポップシーンの実力者たち。この生演奏があるから、ショーはただのカラオケにも、ただのコピーバンドにもならない。開幕時の英メディア評でも、脇で演奏する本物の10人編成バンドと、ヒット曲を歌う4人(アバター)の区別がつかなかったという証言が並んだ(WestEndTheatre.comレビュー・ラウンドアップ、20225月)。映像と音の境界が溶けたとき、「本物かどうか」という問いは意味を失う。

Dancing Queenで、世代が溶けた

客席はほぼ満席。年配の夫婦、親子連れ、そして明らかにリアルタイム世代ではない若者たち。この光景は開幕初日から変わっていないらしい。Time Outのキアラ・ウィルキンソン記者は開幕時のレビュー(20225月、星4つ)で、70年代の青春を追体験しに来た年配カップルから、TikTokの音源でABBAを知ったであろうZ世代までが客席を埋めたと観察し、本作を「ポップの未来のスペクタクルなビジョン」と評した。インディペンデント紙のジェシー・トンプソン記者も星5つの初日評で、Dancing QueenSOSWaterlooが並ぶセットリストの多幸感を称えている(20225月)。

実際、Dancing Queenのイントロが鳴った瞬間の客席の爆発は、この4年間毎晩繰り返されてきたとは思えない鮮度だった。筆者はABBAの全盛期には23歳。それでも、あの頃の断片的な記憶がいくつも蘇ってきたから不思議だ。

この光景を裏付けるデータがある。音楽ビデオネットワークのVevo79日に発表した調査(米英豪のZ世代〜X世代1,800人以上が対象)によれば、Z世代の65%は自分が実際に経験していない時代にノスタルジーを感じている。Vevoはこれを「借り物のノスタルジー(borrowed nostalgia)」と呼ぶ。しかもノスタルジックな感情を最も呼び起こすのは音楽(88%)で、映画やテレビを上回る。67%は「過去の音楽を聴くと、同じ時代の他の曲も探したくなる」と答えており、名曲がTikTokで繰り返しバズり、カタログ消費が加速する構造がここにある。新作すらノスタルジーで作られる時代だ。同調査が好例に挙げるサブリナ・カーペンターの「Manchild」のMVは、映画『バッド・ランズ』(1973)や『テルマ&ルイーズ』(1991)に着想を得たミニ・ロードムービーで、2025年に米英豪で最も視聴されたプレミア動画になった。ABBAアリーナの客席で踊るZ世代は、まさにこの「借り物のノスタルジー」を全身で体験しに来ているのだ。体験していない者にすら「懐かしさ」を起動させる楽曲群——ロンドン・シアター誌が本作を「時代を超えたコンサート(a concert for the ages)」と満点評価した(20234月)のは、比喩ではなく実態だ。クラシック音楽が生まれた瞬間とは、こういうものだったのかもしれない。

観劇が日常にある街の値段

もうひとつ驚いたのは価格だ。物価高のロンドンで、この規模の体験としてはチケットは変動制だが控えめな設定になっている。理由は明快で、この街では観劇が特別なイベントではなく日常に根付いているからだ。毎晩公演を回す演劇のビジネスモデルを、専用アリーナごとポップ・ミュージックに移植したのがABBA Voyageの発明であり、ガーディアン紙によれば開幕1周年の時点で販売チケットはすでに130万枚を超えていた(ハリエット・シャーウッド記者、2023528日。この日は本人3人がサプライズ来場し、客席は熱狂に包まれたという)。ツアーで世界を回る代わりに、世界が会いに来る。伝説を「常設」にするという逆転の発想だ。

一方で、開幕時から警戒論もある。素晴らしい、強く勧める、しかし不安にもなる——いつかすべてのライブがこうなってしまうのではないか、という英批評家の声だ(WestEndTheatre.comラウンドアップ収録、20225月)。その不安は正当だが、4年通い続ける観客たちの表情を見る限り、少なくともこのショーに関しては、テクノロジーは音楽を代替したのではなく、音楽に永遠を与えたように見えた。

グッズ売場では、リアルタイム世代ではありえない年齢の若者たちがTシャツを選んでいた。50年前の音楽が、2026年の日常着になる。新しいクラシックの誕生を見届けて、宇宙船を後にした。