2026年5月、一本の映画が歴史を変えた。A24製作の映画『バックルームズ』が、世界48か国で初登場No.1を記録。2005年生まれ、弱冠21歳の監督ケイン・パーソンズは、この記録を史上最年少で打ち立てた新世代のクリエイターとして現れたのだ。
それ以前、パーソンズが日常的に自作を発表していた場所がYouTubeだった。「僕はYouTube育ちで、10歳のころから自分のチャンネルを持っていました。そこで作品を発表するのは習慣で、疑問に思ったこともなかった」という。
今週の配信時評で取り上げるのは、初めてのYouTube作品。『バックルームズ』の日本公開を記念し、NetflixでもAppleでもなく、YouTubeというプラットフォームから頭角を現した若き天才の原点に、本人へのインタビューを交えながら迫る。
ネット怪談のファウンドフッテージ化
2022年1月7日、パーソンズは自身のYouTubeチャンネルに一本の短編映像を投稿した。タイトルは『The Backrooms (Found Footage)』だ。
自主映画を撮っていた若者たちのうち、カメラマンが地面をすり抜けるようにして別の空間へ落下する。黄色い壁とカーペット、蛍光灯がどこまでも続き、人の姿はなく、出口もわからない。やがて彼は、そこに自分以外の「何か」がいることを知る――。
アイデアの発端は、2019年に匿名掲示板4chanに投稿されたネット怪談(クリーピーパスタ)だった。謎めいた画像と、「もしもうっかり現実の外に出てしまったら、バックルームズに行くことになる」という言葉から始まる奇妙な文章がたちまち話題となり、さまざまな文章や画像などの創作を生んだのだ。
3DCGソフト・Blenderを独学していたパーソンズもそのうちのひとりで、実在しない空間をデザインして「The Backrooms」を始動させた。中学時代から短編映画を作っていた彼の関心は、「どうすれば〈フェイクの現実〉を視覚的に作り出せるのか」だったという。

バックルームズを描くにあたり、「発見された記録映像」という体裁をとるファウンドフッテージの形式を選んだのは、ネット怪談の画像からすべてが始まったからだった。
パーソンズ「バックルームズや〈リミナルスペース〉と呼ばれる写真は、基本的に人が映っておらず、2000年代初頭までのカメラで撮影された、ザラついた質感がある。動画でも同じようにカメラの存在を感じさせたかったんです。ホワイトバランスが変だったり、フラッシュ撮影だったりする、4Kのスマートフォンにはないニュアンスには、本物らしいリアリティと説得力があります」
黄色い部屋の静止画から生まれた空間を、視聴者は自らが歩くかのように探索する。無限に続く壁、部屋、蛍光灯の光――。そうしたビジュアルを起点に、パーソンズは主に90年代を舞台とするストーリーを構想し、1作目の人気を受けてシリーズを本格化させた。

YouTubeに増殖した「The Backrooms」
「The Backrooms」シリーズの特徴は、連続ドラマのように一本の物語を順序立てて語るわけではないことだ。各エピソードはバックルームズをめぐるエピソードの断片であり、視聴者はそれらを組み合わせながら、そこに物語を見出すことになる。
第1作『Found Footage』は、偶然にもバックルームズへ迷い込んだ青年が残した記録だが、『First Contact』はAsyncという研究機関による異空間の実験映像。『Informational Video』は研究員向けのガイダンス映像、『Autopsy Report』は検死記録、そして『Presentation』はAsyncによる「異空間の活用計画」といった具合だ。
またパーソンズは動画説明欄を活用し、チャンネルの動画一覧には表示されない「隠し映像」のリンクを設置。時系列を前後しながら現れる静止画やニュース映像、録音データなどを掘り進めていくうち、巨大な物語が見えてくる仕掛けだ。なぜ失踪者が増えているのか、現実世界と異空間はどうつながり、そこでAsyncは何をしているのか?
2022年5月公開の『Pitfalls』は、シリーズの初期代表作。Asyncの研究チームがバックルームズを調査中、カメラマンが深い穴へ落下して仲間とはぐれてしまう。無線の声を頼り、見慣れた黄色い壁とは異なる空間をひとり探索するが、やがて奇妙な音が聞こえて……。
本作ではファウンドフッテージによる遭難記録と、断片的に示されてきたAsyncの情報がつながる。続いて公開された『Report』では、この出来事がAsync内部の報告資料として、また別の角度から物語られるのだ。
チャンネルにずらりと並んだ動画をクリックすると、バラバラに断片化された情報がある。ユーザーは新旧の資料を読み込み、謎に満ちた異空間と怪異の全体像を推理する。その体験は映画やテレビドラマより、情報をかき集めて真相を探るゲームのストーリーテリングに近い。
「The Backrooms」シリーズは、視聴者がその内部に物語を見出せる一種のデータベースだ。YouTubeの動画を行き来しながら、観る者の思考を促す視聴体験が、無限に広がるバックルームズの探索体験になるよう設計されている。
「アルゴリズム重視のYouTuberにはなりたくない」
YouTubeとともに育ったパーソンズにとって、そこで作品を発表することは自然だった。特別に「YouTubeならではの物語」を意識することもなかったという。
パーソンズ「ただ、少なくともアメリカには、YouTubeほどストーリーテリングに適したSNSプラットフォームはほとんどありません。大半は縦型映像のショート動画で、もっと変なアルゴリズムがある。YouTubeのアルゴリズムもめちゃ変で、扱いにくいんですが」

YouTubeの特徴は、再生回数やインプレッション、視聴維持率などを具体的に確かめられるところ。しかし、パーソンズは「役立つ情報だとは思いますが、意識的には創作に活用していない」という。
パーソンズ「面白いことに、黄色いバックルームズをサムネイルにしなかった動画は、黄色いサムネイルの動画より80%ほど成績が悪い。そういう情報は宣伝に役立てようと思いますが、アルゴリズムを攻略したがるYouTuberのようにはなりたくないんです」
その一方、創作に役立ったのはコメントだった。謎が多い作品だからこそ、視聴者の「現在の理解度」を測ることができたという。
パーソンズ「少し難しくしすぎたかなとか、情報をたくさん与えすぎたかなとか。何年も続けてきたおかげで、そういう感覚を身体で覚えたところがあります。今ではコメントを見なくても、直感的に感じ取れるようになりました」
『Found Footage #3』で起こった変化
映画化に先がけ、「The Backrooms」シリーズにはひとつの〈予兆〉があった。
2024年9月公開の『Found Footage #3』は、それまでよりも長い45分の中編。ファウンドフッテージの形式を保ちつつ、より具体的な物語を語る方向にシフトしていたのだ。
主人公のラヴィは奇妙な出来事に遭遇し、自宅の異変を確かめようとしてバックルームズへ引きずり込まれてしまう。元の場所へ戻るために出口を探し、怪異に遭遇しながら探索を続け、通信設備と思しき機材で外部との接触を試みるが……。
人物を通して「空間」を描き、情報を散りばめることで物語を示唆してきたパーソンズは、この作品ではじめて「人物」に主な焦点を当てた。葛藤と決断、パニック、記憶、願望――のちの映画版につながる、断片ではない「ひとつの物語」の萌芽を見て取れる作品だ。
ただしパーソンズは、当時から映画化の企画は動き始めていたものの、『Found Footage #3』はその習作として生まれたものではないと強調する。
パーソンズ「あの頃から、僕はコンセプト主義の作り方にぴんと来なくなっていました。登場人物を誰ひとり掘り下げられていないなかで、自分がどのキャラクターにも関心を持てずにいた。あの作品は正しい一歩だったと思うし、それ以降はより意識的に、人物を中心とした物語に観客を誘おうと考えるようになりました」
初の長編映画から、再びYouTubeへ
映画『バックルームズ』は、このようにパーソンズが試行錯誤を繰り返しながら発展させてきたシリーズの集大成といえる作品だ。
家具店の主人・クラークがひょんなことからバックルームズに入り込み、彼のセラピストであるメアリーもそのあとを追う。『Found Footage 3』の物語性と、YouTubeで実践されてきたファウンドフッテージのさまざまな形式が、長編映画のフォーマットに組み込まれた。
A24から映画化のオファーを受け、ハリウッドとの協働でシリーズが台無しになる可能性を危惧したパーソンズ。「YouTubeでシリーズを作るだけで満足していたので、映画にする必要を感じていなかった」という。
パーソンズ「映画化の話を本気で検討できるのは、YouTubeで続けてきたことから必然的に生まれる映画にできると確信できる時だけだと思っていました。ゼロからやり直して、変な模造品を作るのではなく、YouTubeの『続き』でなければならなかったんです」

映画版『バックルームズ』は独立した物語をそなえ、過去作品を見たことがなくとも楽しめる作品だ。しかし、確かに独立した物語でありながら、同時に「The Backrooms」という巨大なデータベースの一部でもある。
そのことを明確に示すのが、映画完成後に制作された新作短編『Everything Must Go』だ。アメリカでは劇場公開約1ヶ月後から本編に追加され、日本公開版でも観ることができる(YouTubeでも公開済みだが日本語字幕なし)。この作品では、映画もまた「The Backrooms」を構成する断片化された情報のひとつだったことが示唆されている。
長編映画後の個人制作にあたり、「ひとりで創作する方法を忘れてしまったのでは」と心配したとパーソンズは話す。しかし、完成した作品には大きな手ごたえを感じたようだ。
パーソンズ「少なくとも映像の完成度では、個人で作った『The Backrooms』で一番の出来だと思います。映画のVFXスタッフからもたくさんのことを学びました。ひとりでものづくりをする筋肉を強くして戻ってこられたことがとても嬉しいです」
『進撃の巨人』を「歴史映像」にした少年
「The Backrooms」以外にも、パーソンズは「The Oldest View」(2023~2024年)や「People Still Live Here」(2025年)というシリーズを手がけ、それぞれの作品に固有のスタイルをもたせている。
もっとも、原点のひとつは日本の人気漫画「進撃の巨人」のファン映像。2021年に6本の短編を発表し、なかにはファウンドフッテージ形式の作品も含まれる。「劇中の出来事が現実だとしたら、1930~40年代の記録映像はどのようなものか?」という発想で、やはり〈フェイクの現実〉を表現した。
当時の創作が、現在の『バックルームズ』までそのままつながっていると語るパーソンズ。両作にはひとつの共通点があると指摘する。
パーソンズ「『進撃の巨人』が生々しい暴力や人間の行動に焦点を当てたのに対し、『バックルームズ』は人間が何もできずにいることや、人間と空間の関係を描いています。しかし、どちらも自分たちの力で制御しきれないシステムと、その内部にいる個人の位置、そして時間の中で反復され、決して避けられない循環を扱っていると思います」

現在、パーソンズは今後の創作について、「もっと人物中心の作品になっていくと思う」と予告する。「少なくともコンセプトだけを探求することは、ずいぶんやり尽くしたように感じているんです」と。
これまでの創作において、長らく直感的な判断を続けてきたというパーソンズだが、「The Backrooms」シリーズには「論理的かつ物語的な『地図』がある」と言い切った。
パーソンズ「すべてをまとめあげるルールを作り、自己矛盾を起こさないことを大切にしてきました。今はその『地図』を作り直しながら、より論理的に整合性のある、緊密で、具体的なものを作ろうとしているところです」
【作品情報】
『バックルームズ』
9月4日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
監督:ケイン・パーソンズ
出演:キウェテル・イジョフォー、レナーテ・レインスヴェ、マーク・デュプラス、フィン・ベネット 他
2026|アメリカ|126分|英語|5.1ch
原題:Backrooms|字幕翻訳:佐藤恵子 | 映倫:G
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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