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昨年(2025年)、台湾でテレビ賞5冠に輝いた傑作ドラマがある。

タイトルは「波の音色」。8月15日よりU-NEXTで配信される、全5話のヒューマンサスペンスだ。舞台は1940年代のボルネオ。台湾から海を渡った三兄弟を中心に、戦争によって大きく運命を変えられる若者たちを描いている。

ふたつの時代を行き来するミステリー、日本語や台湾語、英語などが飛び交うセリフ、熱帯の湿気まで伝わるような美術と映像。終戦から約80年、〈戦争を知らない世代〉のスタッフが総力をあげて取り組んだ。

「これは台湾人の第二次世界大戦の記憶を扱った、史上はじめての作品です」と語るのは、脚本家の蔡雨氛(ツァイ・ユーフェン)だ。

「映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)には、捕虜収容所のシーンに背景のような人物がたくさん出てきます。銃を背負い、捕虜の隣に立っているけれど、セリフは一言もない。『波の音色』の主人公は、まさにあのような人たちです」

連載初のインタビュー特別編となる今回は、監督の孫介珩(スン・ジエハン)と蔡のふたりにたっぷりと話を聞いた。

台湾人が「日本兵」だった時代

1945年、終戦後の北ボルネオ。捕虜の死体が大量に発見された元収容所で、戦犯法廷が開かれた。虐殺の実行犯とされたのは、台湾人捕虜監視員の新海志遠(しんかい・しおん)。罪を全面的に認める志遠だが、その発言には不可解な点が残されていた。

太平洋戦争末期、日本は植民地の台湾から若者を動員し、捕虜を監視させるためボルネオに送った。新海輝(あきら)と志遠、木徳(きとく)の三兄弟もその一員だ。彼らが関与したという虐殺事件の日、いったい何が起きたのか。戦中の収容所と戦後の法廷、ふたつの時代から真相が解き明かされる――。

企画の発端は2018年。孫と蔡が、日本統治時代に造られた台北市の中山堂(旧台北公会堂)でイベントに参加したことだった。1945年、敗戦した日本がこの場所で降伏文書に署名し、台湾は中華民国の統治下に入ったのだ。

 「あれが台湾史の重要な転換点で、現在の台湾社会にさまざまな形でつながっているのではないか――そう感じたことがきっかけでした。その後、物語を書くために資料を読みあさり、従軍した台湾人のなかに『捕虜監視員』という仕事をしていた人たちがいたことを知ったのです」

戦後、台湾人の捕虜監視員の多くは戦争犯罪者として法廷へ送られ、台湾に帰ることができなかった。大勢が有罪判決を受け、死刑となった者もいた。

 「信じられませんでした。本当に台湾人がそれほどの悪事を働き、死刑にされなければならなかったのか。さらに資料を調べ、判決記録をたくさん読みました。本当に悲しかった」

悲しかったのは、捕虜監視員たちの悪事が「本当」だったからだ。

 「彼らは捕虜を監視し、管理するために虐待を行っていました。なぜ戦争は人間を変えてしまうのか、なぜ虐殺が起きたのか。彼らの身に起きたことをきちんと理解したくて、この物語を書きました」

〈私はいったい誰なのか?〉

「台湾人として、台湾人の第二次世界大戦を描きたかった」と孫はいう。あまたの資料を蔡とともに熟読し、初期段階から脚本開発に関わるなかで、物語の主人公を考えることは「当時の台湾人」を想像することだった。

 「当時の台湾人には、長い日本統治の影響を受け、『日本の皇民(天皇の臣民)として国に尽くし、犠牲にならなければいけない』という思いで従軍した人がいました。『本物の日本人になりたい、だから兵士になろう』と考えた人もいた。給料が良かったので、経済的な理由から志願した若者も多かったようです」

家族や愛する人のために従軍した者もいた。「政府は1〜2年の兵役で台湾に帰れると約束していたから」と孫は話す。

 「さまざまな理由で台湾人は日本兵になった。その『さまざま』を描くため、三兄弟を主人公にしました。やむを得ない事情があった人もいれば、自ら望んだ人もいるけれど、誰もが自分自身の理由で戦場へ行ったことを知ってほしかったのです」

ところが戦後、台湾人の身分は一変する。この変化こそ、蔡が最も描きたかったことだった。

 「日本統治下では〈日本人〉だったのに、戦争が終わると中華民国の統治下で〈中国人〉にされた。戦中と戦後を行き来する構成にしたのは、いきなり身分を変えられた台湾人たちの居場所のなさを表現したかったからです。『私はいったい誰なのか?』という戸惑いを」

歴史フィクションという宇宙

各話の冒頭には、「本作は歴史上の出来事を元にしていますが 登場人物はすべて架空です」という一文が表示される。蔡と孫が採用したのは、実在の人物や事件をそのまま再現するのではなく、さまざまな史実を織り合わせた巨大なフィクションを創造することだった。

物語の軸となる収容所での虐殺事件は裁判記録に残っている。日本軍がボルネオ駐在の中華民国領事を捕らえたこと、その場に台湾人日本兵がいたことも事実だ。オーストラリア人検察官と日本人弁護士が台湾人をめぐって法廷で争い、有罪判決が下されたことも。

 「実際には、日本軍の将校と中華民国の捕虜、そして台湾人の日本兵が、同じ収容所のなかでこれほど交流したことはなかったと思います。だからこそ架空の人物を創造し、同じ空間に集めることで、緊迫した物語を織り上げようと思いました」

どの史実を選び、その隙間をいかにふくらませ、そこにどんなリアリティを与えるのか。人々はどのように出会い、どんな感情を互いに抱き、支え合い、また対立したのか?

専門家による監修と考証のもと、数々の史実を想像力でつなぎ、独自の物語を書き上げる。この創作を、蔡は「『波の音色』という〈宇宙〉を創造すること」だったと振り返った。

 「主人公の三兄弟は、捕虜監視員たちの回想録をもとに、私たちが描きたいものを託すため生み出した人物です。長男の輝は、日本軍のなかで己の力を示し、台湾人にも高い能力があるのだと証明したい。一方、次男の志遠は穏やかで心優しい性格。収容所の老人や女性、子どもを気の毒に思い、世話をしてあげたいと考えています」

名もなき台湾人と、故郷の波

孫がリサーチのなかで心を動かされたのも「優しさ」だった。アメリカ人作家アグネス・ニュートン・キースの回想録『Three Came Home』には、ある台湾人捕虜監視員のエピソードが書き残されている。

北ボルネオに暮らしていたキースは、日本軍の占領後、夫と幼い息子とともに抑留された。その息子が池に落ちたとき、背が高く、痩せた監視員が助けてくれたのだという。

 「その監視員は台湾人で、その後もお菓子や靴をこっそり渡してくれたそうです。戦争が終わり、キースが収容所を出る前夜、その男に『あなたはどうなるの?』と尋ねると、彼は『わからない』と答えた。そこで、『この人は捕虜に親切でした。どうか彼にも親切にしてください』と英語で紙に書き、身につけておくように言ったそうです」

その台湾人監視員が、その後どうなったのかはわからない。それでも孫は、「戦争という極限下でも、ひとりの台湾人にわずかな優しさがあったことを必ず描きたいと思った」と強調する。

 「どうしても考えてしまうのです。この名もなき台湾人は、法廷へ送られていたとしても、己の優しさに救われたかもしれない。キースの言葉を裁判官が読んだことで難を逃れ、無事に台湾へ帰れたかもしれないと」

監督・孫介珩(スン・ジエハン)

原題の『聽海湧』とは「波を聴く」という意味。三兄弟がボルネオの海辺で耳をすませる「波の音色」は、生まれ育った台湾の海と同じように聴こえる。

じつは、物語の舞台となる捕虜収容所も架空の施設だ。

 「実際のボルネオに、これほど海から近い収容所はありませんでした。それでも海辺の収容所を舞台として、彼らが故郷を想う気持ちを描きたかったのです」

ボルネオの捕虜収容所を再現する

赤道直下、熱帯雨林に覆われたボルネオ島。脚本の執筆にあたり、蔡と孫はプロデューサーや撮影監督、美術監督と現地を訪れ、森や動物、先住民の暮らしなどを取材した。

「現実的な条件から、ボルネオでの撮影は不可能でした」と孫は言う。そこで台湾南部の高雄にセットを建て、熱帯の環境を作り上げた。

 「観客の多くがボルネオに行ったことがない以上、現地をそのまま再現するのではなく、この世界の細部にこだわり抜こうと決めました。台湾や日本の観客に、『自分たちの環境よりも、ずっと湿度が高くて暑そうだ』と感じてもらえれば十分だと」

建物は茅(かや)や竹、ニッパヤシの葉などの東南アジアで使用される建材で造り、周囲には熱帯植物やヤシを植えた。セットや小道具に経年や湿気の痕跡を施し、「どこか乾ききらない風合い」を与えた。公文書や手紙、電報などの小道具は、台湾歴史博物館や高雄歴史博物館に収蔵されていた80年前の実物を参照し、紙の材質から再現されている。

誰のための日本語か?

劇中で重要なカギを握るのが「言語」だ。日本語と台湾語、英語のほか、中国・福建省に由来する厦門語、東南アジアの華人社会で話される福建語、ボルネオ先住民のイバン語。人物のルーツ以外にも複数の意味を持つ言語の使い分けは、蔡が脚本段階で決めていた。

 「三兄弟は日本軍将校の前では基本的に日本語を話しますが、三人だけでいるときは台湾語を話します。とりわけ重要なのは、公の場で使われる言語です。なぜ、中華民国の領事に日本語で話すのか。なぜ、別の場面では互いに理解できる台湾語で話すのか」

第1話には、日本軍の司令官が中華民国の領事に降伏を勧めるシーンがある。そのとき領事は、通訳を務める長男の輝に、「お前は台湾生まれか? 日本人の前では、自分が台湾人であることも言えないのか?」と問いかけるのだ。

このシーンでは全編で唯一、撮影現場において脚本からセリフの言語が変更された。

 「輝は司令官に対し、日本への絶対的忠誠を示したいと考えます。演技の感情が高まることを受けて、脚本では台湾語だった終盤の一言を日本語に変えました。これは『自分には日本への忠誠心しかない』と司令官に伝える言葉であり、その時点での輝のアイデンティティも表すものです」

80年後の台湾、そして日本へ

台湾で「波の音色」が放送されたのは2024年夏。「今、この作品を世に出す以上、現代の観客と対話できる作品にしなければ」と蔡は考えた。史実をフィクションとして再構成したのも、「現在の台湾社会とつながる物語にするため」だったという。

孫もまた、「私たち自身が感動したことや、胸を締めつけられたことを、80年後の観客へ伝えたかった。新しい角度で〈戦争〉を想像してもらいたかった」と話す。ふたりもまた、リサーチのなかで当時の台湾人と自らを重ねたのだ。

蔡が驚いたのは、あまりにも単純な理由から従軍を選んだ若者が少なくなかったこと。海外に行くことが難しかった時代に、「外国に行ってみたい、お金を稼ぎたい」との思いで戦場に向かった。

 「私も20歳のとき、『外国へ行きたい、広い世界を見てみたい』と強く願っていました。当時の若者にもそういう理想や無邪気さがあり、深く考えないまま従軍し、戦争によって本当に人生を変えられてしまったのかもしれません」

孫が強く意識したのは「台湾人のアイデンティティ」だった。「私はいったい誰なのか?」という疑問は、80年を経た今も、ほとんど変わっていないという。

 「台湾人として、ひとりの個人として、私たちは『私は誰なのか?』と問い続けています。日常生活では意識していなくとも、外国へ行ったり、海外の人たちと交流したりすると、『私たちは何者なんだろう』という問いにぶつかるのです」

50年におよんだ日本統治時代――劇中で描かれた時代の痕跡も、建築物や社会習慣、言語など、現在の台湾社会にいまだ色濃く残っている。

 「平和な時代を生きている私でさえ、『私はいったい誰に属しているんだろう』という感覚に襲われることがあります。『ただ、台湾人でいるだけではいけないのだろうか?』と」

台湾での放送から2年、「波の音色」が日本で配信される。リサーチ段階から日本にたびたび足を運んできた孫と蔡は、「きっと日本の観客も、この物語を好きになってくれるのではないか」と期待を語った。

 「本作で描いた台湾人と日本人の関係には、良いものもあれば悪いものもあります。当時、台湾と日本のあいだには、それほど深い結びつきがありました。きっと現代を生きる日本の観客にも、自分に関係することや、戦争の歴史の一端を、このドラマに見つけてもらえるのではないかと思います」

 

【作品情報】

「波の音色」(原題:聽海湧)

監督:孫介珩(スン・ジエハン)
脚本:蔡雨氛(ツァイ・ユーフェン)

出演:吳翰林(ウー・ハンリン)、黃冠智(アキラ・ファン)、朱宥丞(エドワード・チュウ)、施名帥(シー・ミンシュアイ)、連俞涵(リエン・ユーハン)、周厚安(アンドリュー・チョウ)、塚原大助、松大航也 ほか

2024年|台湾|全5話
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