増井健仁がビジネス、エンタメ、政治など様々な分野のキーパーソンを迎え、”いま起きていること”と”これからの社会”を多角的に読み解き、新しい視点とヒントを届ける「MEDIAMIXI with interfm」。2026年4月21日放送のゲストは、UUUM創業者でBEE株式会社代表取締役・KMD株式会社代表の鎌田和樹氏。
日本に「YouTuber」という職業を根付かせた立役者であり、HIKAKINとの出会いから14年、UUUMを10年にわたり率いた鎌田氏は、2023年9月にUUUMの取締役会長を退任。”ニート期間”を経た2026年4月、HIKAKINが設立したBEE株式会社の始動に参画し、再びHIKAKINとタッグを組んだ。
放送日となった4月21日は、HIKAKINの37歳の誕生日でありBEEとして本格展開する新商品ブランド「ONICHA」の麦茶が、全国のセブン-イレブン(※一部店舗を除く)で発売された日でもある。「目の前のことをただがむしゃらに」と語る鎌田氏が、UUUM急拡大の裏側、組織論、そしてフィジカルなものづくりに飛び込んだ理由までを語った放送のハイライトをお届けする。
UUUM創業とHIKAKINとの出会い
増井「本日のゲストはUUUM創業者で、現在はKMD株式会社代表の鎌田和樹さんです。よろしくお願いします。カマさん、久々にお会いできましたね」
鎌田「確かに、最後は麻布台ヒルズでお食事した時かな。」
増井「そんな鎌田さんですけど、もともと日本においてYouTuberという存在を日本で認知させた方じゃないですか。今でこそYouTuberって当たり前ですけど、カマさんが始めた頃って、その言葉自体我々知らなかった。UUUMを創業された当時、なりたい職業の上位にYouTuberが入る時代が来るって想像されてました?」
鎌田「いや、当時はまだ”YouTubeスター“って言葉だったんですよ。ハリウッドスターにかけた言い方で、ちょうどアメリカで使われ始めたかなぐらいの頃で。結論だけ言うと、別に思っていなかったし、今もよく『先見の明があって』なんて言われるんですけど、僕は目の前のことをただがむしゃらにやってただけだったので。クリエイターが好きだった、というのはありましたけど、なりたい職業を一つ作れたとか、そこまでは思ってないですよね」
増井「じゃあ、やりながら結果そうなった、と。UUUMを語る上では、HIKAKINさんの存在は切り離せないですけど、出会った頃ってどんな方だったんですか?」
鎌田「今よりは痩せてたんじゃないですか(笑)。まだ知っている人は知っているぐらいで、”ビートボックスをやっているYouTuber“という肩書きで世間に言われていた時代でした。やっぱり今とは全然違いますよね。出会ったのが14年ぐらい前のはずです」
増井「逆に、HIKAKINさんはなぜビジネスパートナーに鎌田さんを選んだと思います?」
鎌田「たまたま目の前にいたからじゃないですか」
増井「じゃあ縁だ」
鎌田「多くの人と会ってきましたが、『君に決めた』なんて多分ないと思いますよ。たまたま縁があってやってみようと言ったら続いて、形にどんどんしていったから今がある、という感じですね」
ABテストから事務所モデルへ 3ヶ月で見えたビジネスの形
増井「UUUMを創業された時、YouTuberをビジネスにできるって思ったのは立ち上げる前ですか?それとも立ち上げてからですか?」
鎌田「前身が光通信だったので、何かしら物を売ってビジネスをしていくっていうのが根幹だったんです。最初は、見られる=物が売れるだと思っていたんですけど、意外と見られても売れないものもあったし、売れなくてもお金をいただける仕事もあった。YouTuberというものには可能性を感じていて、最初の3ヶ月で資本金1000万円ぐらい使っていろんなテストをしてみて、『物は売れたり売れなかったりするけど、お仕事は来るんだね』というのが見えたんです」
増井「そうなんだ」
鎌田「だったら代理店モデルよりは、事務所モデルの方がいいだろうということでピボットさせてもらって、そこからは毎月黒字でしたね」
増井「最初の3ヶ月のABテストで方向性が見えたわけですね。HIKAKINさんを皮切りに、その後ものすごい数のクリエイターがUUUMに所属していきましたが、他の方々はどうやって集めていったんですか?」
鎌田「YouTubeのコメント欄からメッセージを送って、会いに行き、話して口説くみたいな」
増井「もうそれ、レコード会社で言うところのアーティスト発掘じゃないですか」
鎌田「そうかもしれないですね。純粋に動画を見て、再生数が回っていて面白そうだからスカウトする、みたいな」
増井「『あなたたちの曲が素晴らしいと思うから一緒にやらないか』みたいな」
鎌田「そうですね」
増井「もう、どの世界も一緒なんですね。クリエイター発掘って」
過渡期に重なった追い風と”バディ”という発明
増井「UUUMが一気に拡大した時期がありますが、あの大拡大ができた要因って何だったと思います?」
鎌田「僕らが会社を作った2013年って、スマートフォンが急速に普及していた時期だったんですよね。で、2012年には、日本を含む20カ国でYouTubeパートナープログラムが一般ユーザーにも開放されたんです。それまで審査制でなかなか動画を収益化できなかった人たちが、一斉にできるようになった。さらにGoogleがそこにスポットを当てて、『好きなことで生きていく』キャンペーン——テレビCMで『僕の名前はHIKAKIN』って流れていましたけど、ああいうのも相まって、クリエイターが動画を上げて生活していけるかも、と感じ始めた年だったと思うんです」
増井「そうでしたね」
鎌田「再生してもらえる広告費自体はまだ低かったんですけど、テレビ広告がこのままでいいのかという議論が起きていたり、化粧品会社さんが『今後は全部ネットに広告を使います』と言い始めたり、いろんなものが重なったんだろうなって気がしますね」
増井「YouTuber事務所がバーッと増えていく中で、UUUMと他の事務所が違っていたことって何だったんでしょう?」
鎌田「当事者なので自分のことぐらいしか考えられないじゃないですか。ほぼ僕たちが一番最初にやっていたので、他の人たちを見るよりも自分たちのこと——クリエイターも増えてきますし、どうやって売り上げを上げなきゃいけないんだ、と。そればっかりやっていたので、余裕がなかったですよね。後から考えれば、女性のクリエイターとかコスメに特化した事務所やレーベルみたいなものができていれば、また違った色を出せたんだろうなとか、そういうのはあると思いますけど」
増井「面白いなと思っていたのが、芸能界では『マネージャー』と呼ぶところを、UUUMは『バディ』という呼び方にしていた。理由はあったんですか?」
鎌田「言葉の意味って強いって思うんですよね、考え方として。逆にしばらくの間、分かりやすくマネージャーポジションを採用しようとしても、芸能事務所出身の人たちは取らなかったんですよ。それはやっぱりYouTuberと相まみえるものだと思っていて、どういうやり方がいいのかも分からない中で作っていかなきゃいけないのに、外からの文化を持ち込まれたくないよね、みたいなこともあった。マネージャーという言葉だと、丁寧に扱えている感じがしないんだよなって思ったんですよね。だから別の言葉にしたいと、みんなで話してバディにたどり着いた」
増井「タレントを抱える仕組みって、当時は『マネージャー』か『付き人』ぐらいしか言葉がなかったから、バディと呼ぶというのは『最初に刑事ドラマかと思いましたよね』みたいな、世界が変わっていくスタッフ側の感覚として強烈でした。これがUUUMが革新的に見えた理由なのかな、と」
急拡大のリスクマネジメントと教育の壁
増井「クリエイターの数が増えれば、それだけチャンネルも増えてマネジメントすべきリスクも増えていく。リスクマネジメントってどうしていたんですか?」

鎌田「最終的に全部きれいに片付いていましたとは言えないので、いろんな問題はもちろんあったと思いますけど、大きく分けると動画コンテンツ内容のリスクと、ヒューマンリスクの二つでしたね。動画の方はチェック体制がしっかりしていたと思いますし、自分たちから誰かを誹謗中傷するコンテンツを上げることもなかった。YouTubeの機能でも一定のクローリングをしてくれるので、そこは助かりました。やっぱり人の部分はなかなか難しいところがありますよね。社会人経験が少ない人が多いし、同い年の人が普通に勤めて稼げるお金よりは何倍ももらえるので、そこの教育っていうのは大変ですし。会社も若いし、従業員も若いし、いろんな勉強をさせていただきました」
増井「急拡大していく中で難しかったことは?」
鎌田「とにかく教育じゃないですか」
増井「クリエイターも社員も。それは若い人たちの集まりだから難しいのか、それとも新しい世界を築ける人たちはカッティングエッジで尖っているから難しいのか。どっちですか?」
鎌田「やっぱり前者の方じゃないですかね。個性が強いことはいいことだと思いますし、個性が強くても話は聞いてくれる。クリエイターの数を増やさなかったとしても、再生回数が伸びればバディの数も足りなくなる。教育はしていかなきゃいけないし、そこは難しいところでしたね」
UUUM卒業の決断 その後のニート期間
増井「2023年にUUUMを卒業されるという決断をされるわけですけど、HIKAKINさんにはどうやって伝えたんですか?」
鎌田「5月末ぐらいだったと思うんですけど、もう決めたからと。当時のミッドタウンの僕の部屋に来てもらい、『こうしようと思うんだよね』『こういう理由で、これは僕の決断であり、別にHIKAKINに辞めてほしいとも思っていない。ただ僕自身はこうしていきたい』という話をして。本人から激しく引き止められることもないだろうし、多分もう僕が決めたことに対してノーは言わないタイプだと思いますから。普通に1時間ぐらい話したかな、という感じですね」
増井「HIKAKINさんの反応は?」
鎌田「喜んでいるわけではないでしょうから、悲しい顔をしていましたけども、飲み込んでくれたんじゃないかなって気はしますね」

増井「長い関係性の中の信頼関係において、言葉に力があるから、お互いに不用意なことも言わない。鎌田さんがそれをわざわざ言いに来たということは、『分かったよ』という受け止めなんでしょうね」
鎌田「立ち上げ時期が一番一緒にいた時間も多かったですから。成長していく中で、毎回社長が近くにいるのも、それぞれ良いことなのか悪いことなのかになるじゃないですか。会っている回数は年々減ってきたと思うんですけど、根幹のところはずれていなかったんだろうなって、今思うとそんな感じですかね」
増井「2023年に卒業されて、その後どんなことをされていたんですか?」
鎌田「ニートですよね(笑)。光通信を辞めてニートになって、UUUMやってニートになって」
増井「いやいや(笑)、ちゃんと次のビジネスの準備はされていたじゃないですか。私『次どうするんですか?』って聞いたら『ちょっとゆっくりするんですよね、あ、でもオフィスは構えたんですよ』『遊びに行っていいですか?』って行った先が麻布台ヒルズでしたからね(笑)」
鎌田「ビジネスがないのにオフィスだけ麻布台ヒルズですからね(笑)。辞めた後、やっと行きたかったんだよなと思ってスペインに行ってサグラダ・ファミリアを見て、『これこれ!完成しちゃう前に見ておかなきゃ』みたいな。そういう時間も過ごしました」
増井「あれだけ大きな組織を率いていた方が、組織から離れてみて感じたものってありました?」
鎌田「楽(笑)。考える範囲がもう一回自分とか、本当に狭い範囲で良くなったので。数が多いと報告も多いじゃないですか。定例ミーティングをする必要もないし、自分で決めればいいことだけだし。身軽になったなっていう時期はありましたよね」
組織を作る意味「社会的信頼は会社に紐づく」
増井「番組ではビジネスパーソンも聞いてくださっているので、組織や経営についても伺いたいんですけど。UUUM時代、組織を大きくしていく上で意識していたことは?」
鎌田「やっぱり責任者の数じゃないですか。優秀な方々がたくさんいたので、僕自身はほとんどすることがなかったでしょうし、みんながちゃんと管理してくれていた。やっぱりいないと辛いしね」
増井「組織が大きくなると仕事を任せていかなきゃいけない。直接ジャッジできなくなる難しさはありませんでしたか?」
鎌田「あんまりないかな。出来上がっていない会社だったらよかったのかもしれないですけど、一緒になってクリエイターを助けて、会社も良くなっていこうみたいな感じだったので。コミュニケーションが取れて、しっかりPDCAを回していける人であればそんなにミスらないと思うんですよね。一回ミスしても、次はちゃんと改善していますという人で、それを管理できる上長がいれば、そこまで難しいことはなかった。それをやってくれたみんながいたから、というのが前提なんですけど」
増井「事業が急拡大する組織って、掛け算でドライブしていくところと、噛み合わなくて崩れるところがある。何の違いだと思います?」
鎌田「やっぱり目指すべきものとか、勢いというと違うのかもしれないけど、走り抜けている間は崩れようがないじゃないですか。その感覚なんじゃないかなって。政治みたいなものも社内になかったし、そんなことを考えている暇があったら、やらなきゃいけないことがたくさんあって、会社の目標もあるし、クリエイター自身の目標もあるわけです。一人の社員のテンション上下に関係なくクリエイターは走り続けているので、そっちにも引っ張ってもらっていたというのは大きいと思いますね」
増井「クリエイターの中でも伸びる方とそうでない方がいたと思うんですが、分岐点ってどこにあったと思いますか?」
鎌田「テクニックじゃない話になるんですよね。『これ変えた方がいいよ』と言ったら即日全部変えられる人と、一週間後までサムネを変えない人がいるじゃないですか。アーティストの場合はどうですか?」
増井「アーティストも一緒かもしれないですね。根幹で人に言われて右往左往する根無し草ではダメですけど、微調整で打てば響く人の方が次の作品にもつながりやすい。今、サブスクリプションの時代でCDみたいに3ヶ月後にしか世に放てない時代ではなくなって、音楽でもABテストができるようになった。アドバイスを聞ける人の方が強いかもしれないですね」
鎌田「サムネを一週間で変えたから成功するかは分からないですけど、確率は上がる気がしますよね」
増井「個人でも成功できる時代に、それでも組織を作っていく意味って何だと思いますか?」
鎌田「一人でできることに限界があるはずで、1日24時間しかないので、どう効率よく分配するかを考えた時に、最初がチームで、最大が会社だっていうことでいうと、それをうまく使えるなら使った方がいい。もう一つは、僕がニートになって明確に思ったことは、社会的信頼って会社に紐づくんだなと」
増井「え、鎌田さんでもそうなんですね」
鎌田「正直、自分の会社名を明かさずに生きている方が多いと思うんですけど、何か新しいことをしようとする時にも『会社で連帯保証人に入ります』みたいなことがあるわけじゃないですか。社会的信頼やポジションが欲しいんじゃなくて、一個人って意外と信頼がないんだなと思ったんです。クリエイターと社会人はちょっと違うかもしれないですけど、その使い方の違いは絶対的にある気がしましたね」
増井「組織と個人の関係性は、時代が変わっても変わらない部分はありそうですね。YouTubeが出てきて事務所がなくなるとか言われますけど、ネットが出てきて新聞がなくなったかというとなくならないし、YouTubeが出てきてテレビがなくなったかというとなくならない」
鎌田「最近こんな話もあって、テレビCMを打つと採用の応募が上がるとか、『あんたの会社ちゃんとテレビCM打ってるのね』とご両親が言うとか。費用対効果だけじゃなくて、信頼を得られるというところで、そういうものは残り続けるんじゃないかと気がしますね」
BEE立ち上げでHIKAKINと再タッグ
増井「2023年に一度UUUMを卒業されて、2026年4月、HIKAKINさんともう一度タッグを組みBEE株式会社を立ち上げられた。もう一度一緒にやろうという話になった経緯は?」
鎌田「これすごいなと思うのが、立ち上げを4月5日に発表した直後、増井さんからすぐにLINEが来たんですよ。『どこでこの人はチェックしたんだろう』っていうぐらい早くて(笑)。その後、『おめでとうございます』といろいろ来るんですけど、増井さんが一番最初にドーンと送ってきて、こういう人は怖いなって実感しましたね(笑)」
増井「私、イケてる人が大好きなので、最新ニュースが勝手にアルゴリズム上おすすめされる仕組みになっちゃっているんですよ(笑)」
鎌田「その後、慌ててFacebookで『会社作りました』みたいに発信したぐらいで(笑)。きっかけは、HIKAKINからオファーをいただいたんです。辞めてからゴルフして、ボクシングして、漫画読んで、ゲームして…そんな日々でしたから、個人的には最高な時間だったんですけど。『もうちょっと働けよ』みたいな感じでオファーをいただいて。当時の構想はまだ『みそきん』しかなかったんですけど、やってみようかな、と」
増井「みそきんは累計でシリーズ5000万食を突破していますが、これクリエイターさんが作った商品というより、もはや一般的に『美味しいから食べている』状態ですよね。ヒットの要因は何だと思いますか?」
鎌田「彼の文脈でずっとラーメンが好きだというのは、みそきんを出す前からも滲み出ていたものだったので、自然と発売以降も動画になっていった時に、人に刺さりやすく届いたんだろうなと。作る過程の試食にも同席させてもらいましたけど、試食過程は壮絶だと思います。イメージで2、3回ABCを食べて、BとCで次に行ってみたいに3回ぐらいだとするじゃないですか。優に10回ぐらい超えています」
増井「微調整の繰り返しで『最後これだ』という瞬間は、もう感性ですか?」
鎌田「横にいて思うんですけど、彼はいい意味で最後まで決めないんですよね。ただ、そこまでにできる努力は全てする。他の人がやらないぐらいやりきって、自分が選んだものであれば外しても仕方ないし、やっぱり美味しいと思う、というところまで繰り返してやる。感性とか感覚というよりは、すごく努力があるな、と見ていて思いますね」
増井「そして本日(放送は4月21日)、ONICHAの発売日です。おめでとうございます。今回、麦茶を選ばれた理由は?」
鎌田「HIKAKIN TVの動画で上がっている通りで、それ以上もそれ以下もないんですけど。彼と出会ったのは20代だった頃ですが、十何年経って30代後半になり、家族を持って、お子さんが生まれ——そういう環境の変化の中で、自然とここにたどり着いた。配信の中で『コーラを作りたい』とかいろいろ考えた時期もあったみたいですけど、今の年齢と環境で言うと、自然な選択だった気がしていて。ビジネスサイドから見ると『みそきんの次は何とかキンじゃないんだ』みたいなご意見もいただくんですけど、それがいい意味で注意を引けたところにつながるなら、ビジネスとしても良かったんじゃないかなと。全部はHIKAKINがこれだ、とたどり着いた感じですね」
増井「ONICHAも飲ませていただきましたけど、めちゃめちゃスッキリしていて飲みやすい麦茶でした。プロダクトが変わると、プロモーションの設計も変わるものですか?」
鎌田「絶対に変わらないというのは嘘になりますけど、戦略として変えてみようとか、あえてそのままでいこうとか、ターゲット層が違うから別のやり方とか、いろいろあります。同じことをやって100%成功するとは誰も思っていないので、ほぼ一から考え続ける。先ほどBEEという会社が出てきましたけど、本人も動画で話していた通り、朝から晩までこのことだけを考え続けるという集団もなかなか存在しないわけなので。それが結果的に皆さんのお手元に届くところまでつながっていく」
増井「いわゆるインフルエンサーの商品開発って世の中にはありますが、売れる売れないの分岐点ってどこにあると思いますか?」
鎌田「もしかしたら会社があるべき場所なのかもしれないですけど、本人がやりたいと言っても、相手先の会社の事情もあったりする。自分で工場を全部買ってスタッフを用意できればいいですけど、そこはビジネスサイドが走っていかないといけない部分が一つ目。次が、納得するものにたどり着けるかという開発力。最後に、結果として本人のファンだけに届けばいいのか、それを超えていくのか、そこまで設計できるか。意外とそんな簡単じゃないよ、と思いますね。アーティストが作るグッズや女性タレントが作るアパレル、カラコンなんかは、もう過去の人が作った道だから浸透しやすい。そうじゃないところに行こうとした時には大変なのかもしれない」
鎌田「フィジカルなものをやってみて、いろんな人の努力がそこに詰まっているということを感じます。動画だったら作ってポンと投げて出ますけど、このご時世で物を配送することの大変さって…僕、昨日400円ぐらいの文庫本を買ったんですけど、Amazonプライムで無料で届くわけですよ。すごい世の中だな、と」
増井「物には、人の気持ちがすべてこもっているということですよね」
鎌田「こもっていますよ」
増井「BEEとして、この先どんなことをやろうと思っていますか?」
鎌田「彼がオーナーシップを持っている会社だと僕は思っていますから。なので、彼を引き続きサポートしていく、その実業の部分に尽きると思います。彼の発想とそれを具現化するチームがあって初めて、世の中に届けられる。朝から晩まで一気通貫で考えていけるような会社になっていけば、自然と大きくなるかもしれないし、自然に彼がやりたいことは叶うのかもしれない」
増井「ニートとおっしゃっている鎌田さん自身は、次にこんな領域に進出してみたいというビジョンってあるんですか?」
鎌田「すごくあるんですけど、ここでは言えない(笑)」
増井「新しい何かワクワクすることが思いついている、と(笑)」
鎌田「思いついてはいるんですけど、ここで言うことじゃないなっていうぐらい全然違うことなんで」
増井「じゃあ、それはまた別の機会に。本日のゲストはKMD株式会社代表、鎌田和樹さんでした。ありがとうございました」
増井健仁 エンディングコメント
『社会的信頼は会社に紐づく』という言葉も印象的でした。個人で成功できる時代だからこそ、組織を作る意味を逆説的に教えていただいた気がします。そして、HIKAKINさんと再び組まれたBEEと、本日発売のONICHA。インターネットからフィジカルへ——一つのビジネスで成功された方が、また別の領域でチャレンジしている姿に、新しい挑戦をしてもいいんだ、と勇気をいただきました。また来週お会いしましょう。さようなら。
エンディングは、鎌田和樹氏の選曲——Mr.Children「Again」














