増井健仁がビジネス、エンタメ、政治など様々な分野のキーパーソンを迎え、“いま起きていること”と“これからの社会”を多角的に読み解き、新しい視点とヒントを届ける「MEDIAMIXI with interfm」。2026年9月8日放送回は、お笑いタレントの野沢直子氏が登場。
1963年、東京都生まれ。1983年に芸能界デビューし、吉本興業へ。東京吉本の所属タレント第1号でもある。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコと共演したコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ)をはじめ、『笑っていいとも!』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などの人気番組にレギュラー出演し、破天荒なキャラクターで一時代を築いた。
1991年3月、日本での芸能活動休止を宣言。全レギュラー番組を降板し、英語がまったく話せないまま単身でニューヨークへ渡った。1993年に現地で結婚し、3人の子どもを育てながら、コメディクラブやバンド、ショートフィルム制作へと活動を広げていく。現在はサンフランシスコ在住。毎年夏に日本へ滞在してタレント活動を行う“出稼ぎスタイル”は、今年で30年近くになる。
2015年にはバンド「ELECTRIC MACHINE GUN TITS」を結成し、サンフランシスコを拠点に音楽活動を本格化。2017年にはPUFFYのアメリカツアーでオープニングアクトを務め、今夏はRISING SUN ROCK FESTIVALのステージにも立った。海外進出タレントの元祖的存在として知られる一方、近年は60代で始めたアルバイトや、公式オンラインサロン「ナオコズハウス」の運営など、肩書きにとらわれない動き方を続けている。
「とりあえずやってみるっていう感じしかない」と語る野沢氏が、28歳での渡米の決断、日米のコンプライアンス感覚の差、そして年齢と関係なく居場所をつくる方法までを語った放送のハイライトをお届けする。
渡米のきっかけ
今でこそ、コメディアンがアメリカをはじめとする異国で挑戦することが増えた印象がある。増井は、今回招いた野沢直子を「その道を切り拓いた、扉を開いた」人と話し、渡米のきっかけなどを探った。
増井「きっかけは何だったんですか?」
野沢「これはいろんなところで、何回も話してるんですけど、『夢で逢えたら』っていう番組をやっていたときに、他の共演者のみんながおもしろかったので、私ダメだなみたいな感じにだんだんなってきて。それで、どっかで勉強できないだろうかと思ったんです。私、全然下積みがなくバーって売れちゃったんで、1年か2年ぐらいで。自分には引き出しがないんだみたいな感じになっちゃって。それで、その当時って、ドラマとかで、そういうふうに困った時は、みんなニューヨークに行ってた時代だったんですよ。それで“こういう時はニューヨークに行けばいいんだ”と思って、それで行っちゃったっていう」
増井「その行っちゃったは、移住を目的にして行っちゃったのか、気分転換に行ったでは、どっちだったんですか?」
野沢「移住です。自分の中では仕分けがないんですけど、たぶんこれ長くなるなって、なんとなく思ってたんです。言語化できないんですけど、おそらくは帰ってこない可能性もあるって思って」
増井「何歳の時ですか?」
野沢「28です」
増井「すごい重大な決断を」
野沢「決断だったんですけど、結構考えた期間3ヶ月ぐらいだったんですけど」
増井「仕事できる方って、どのジャンルでもジャッジ早いんですね」
野沢「ジャッジは、いろいろ早いですね。結婚も付き合って3日で決めちゃいましたし」
増井「すげえ。結構ビジネスパーソンもそうだろうし、就職活動している大学生も、そうだと思うんですけど、ある種、自分の人生のスイッチを新しく押すっていうのは、ものすごい恐怖と戦う瞬間もたぶんあると思うんですけど。特に野沢さんの場合は、当時テレビで見ない日がなかったから、一流お笑い芸人さん、タレントさんの野沢さんが持ってるものを1回捨てるわけじゃないですか」
野沢「そうですね。そういう感覚もなかったんですけど、とりあえずちょっと行って、向こうでやってみたいっていうので、ちょっと燃えてたというか」
増井「会社の皆さんは、その時“売れてる、これからもどんどん仕事をしながら会社としてはもっと売っていこう”って思ってるじゃないですか。っていう時期に、私アメリカ行こうと思いますって言われてどんな顔するんですか?」
野沢「でも、そこはタレント数が多い会社なので、一人ぐらいはっていうのはあったと思うんです。私、それでちょっと長くなると思ったけど、1年で帰るんでって嘘をつき。ニューヨークで勉強してきていいですか?って言ったら、“ええやん”みたいな感じで。わりかしポンと出させてもらいました」
アメリカのコンプラ事情
野沢が渡米をしたのは、1990年代初期。当時と比べれば、日本とアメリカの物価や暮らしやすさも大きく変化したというのは一目瞭然。それゆえ、増井は、その暮らしやすさについて質問をした。
増井「今はサンフランシスコにお住まいだと思うんですけど、最初行かれた時は日本がバブルだから、ニューヨークに行って、住みやすいじゃん」
野沢「だと思いました」
増井「でも、今真逆じゃないですか」
野沢「真逆ですね」
増井「日本帰ってきたら、“安!”ってなります?」
野沢「なりますよ。ここ1〜2年、ちょっと日本も高くなったなとは思ってましたけど。でもサンフランシスコは、特に高いんですね、いろいろと。特に食べ物がやっぱり安く感じますね」
増井「今もコーヒーを飲まれてますけど……」
野沢「これなんてコンビニで150円ぐらい」
増井「スタバに行ったら、ちょっとでかいサイズだったら、1000円ぐらい取られますもんね」
野沢「取られますね。日本円に換算するとそんくらいになっちゃいますね」
増井「そうですよね。お水もそうじゃないですか」
野沢「お水もそうですね」
増井「観光地に行っちゃうと6ドルぐらい取られたりするじゃないですか」
野沢「ボトルがかっこいいやつとか、1000円くらい」
増井「もっとやばいですよね? だから、そういう意味では、逆に今は日本の方が住みやすそうだな、みたいな感じはある?」
野沢「まあ、どっちも好きなんですけど、アメリカの自由感に慣れすぎちゃって。こっちに帰ってきた時に、駅の床に線が引いてあって、こっち歩けみたいな矢印とか見ると、めまいがするんですよ。もうめんどくせーな、どっちでもいいじゃんみたいな感じになってて」
増井「片側通行ね」
野沢「帰ってこれないわ、私って。結構思いますね」
増井「そうですか。考えてみれば、アメリカの方が長いですもんね?」
野沢「もうアメリカの方が長くなっちゃったんですよね」
増井「じゃあ、たまに帰ってくる分には、今のところ過ごしやすいけどって感じですかね」
野沢「そんな感じですね。帰ってこれなくなっちゃったら、きっと寂しいと思うと思うんですけど、やっぱりアメリカの方が楽かなっていう感じはあるかな」
増井「一方通行、片側通行みたいな街で行くと、自分もおっさんなんで、おっさんがだんだん息苦しくなってきているんですよ。例えばコンプラとかね」
野沢「コンプラね」
増井「ハラスメントとかね。遅れてやってきた現代化みたいなのが、近年すごくって」
野沢「ハラスメント、それ結構大変ですよね(中略)」
増井「まずアメリカの生活の中では(中略)どうやって気をつけて生活をするんですか? それとも何も気にしない?」
野沢「気をつけないですね。もちろん全くないわけじゃないです。ある程度はあるんだけど、それでちょっと失敗をしたとしても、そこまで気にしなくてもたぶん大丈夫です。後から謝れば、謝るのもストレートに謝っちゃえば、それで忘れてくれると思います。そういう気安さはありますね」
増井「自分もエンターテインメントのプロデューサーで生きてきたんで、そうした時に、こんなことやってしまえばいいじゃんみたいなものが、だんだん止められるようになってきてて。それはいわゆる社会的な価値観が、日本において今感じるのは、すごく余白がなくなってきてるんですけど、年に1回日本帰ってこられて、エンターテイナーとして番組に出たりする時に、言っちゃいけないとか、こんな言葉使っちゃいけないとかが増えたとかは感じますか?」
野沢「それはもう全く違いますね。私はどうしても80年代の、何やっても構わない感じの、コンプラが実はあったっていうことを最近になって知ったぐらいのところで育っちゃっているので。今テレビだと、例えばスタジオでは、ちょっと盛り上がってた件、全部根こそぎカットだったとか、そういうのが結構あるので、テレビは正直きついのかなとは思ってます」
増井「じゃあ収録で止められたりはしない?」
野沢「しない。なんだったら打ち合わせでちゃんと言っといて、これをしゃべってくださいって言われたやつも、言葉がダメだったとかで根こそぎカットとか、ありますね」
チャンスを味方につける方法とは?
増井「例えば会社や居場所があって、組織の中で役割もあって、その仕事が例えば60歳を超えたぐらいで、次の人生のフェーズが見えてきた時に、居場所をまた探し直さなきゃいけなかったり、居場所がなかったりとかっていうことが起きるっていうのが、日本においては多そうだなと見受けてて。野沢さんのお話を伺っていると、趣味と実益だけじゃないけど、新しいことにチャレンジしながら、常に年齢と関係なく居場所を作れるっていうのが何個か設計されてるなとお見受けするんですけど。何らかの形で、頭の中で考えながらやってんのか、全部たまたまそうなったのかというと、どっちですか?」
野沢「全部たまたまそうなったようなとこが多いと思います」
増井「たまたまが起きるってことは、何かの接点があるから、たまたまが起きるじゃないですか。何に気をつけて、日々過ごしてれば、そのたまたまが起きると思います?」
野沢「何にも気をつけてないですよ。やりたいなと思ったことをやっているから、続けているだけだと思います」
増井「やりたいなとは思うじゃないですか、みんな。だけど、それをやるというところに行動する時に、手段がなかったり、どうすればいいかわかんない人たちって、いっぱいいると思うんですけど。そういう方たちへのアドバイスは?」
野沢「難しい。でも結局それしかないと思うんですよね、きっと。とりあえずやってみるっていう。とりあえず始めてみるっていう感じしかないのかなって思います」
増井「野沢さんは、とりあえず始めてみるっていうことで。バンドもあるし、ペルシャ絨毯もあるしね。直子先生もいるし」
野沢「ティーチャーナオコも!(笑)」














