6月12日(日本時間)、2026 FIFAワールドカップが開幕した。今回は史上初、アメリカ・カナダ・メキシコの3か国共催による、出場国・試合数とも過去最大規模の大会だ。
開幕戦の舞台となったメキシコは、1970年・1986年に続き、男子ワールドカップを3回開催する史上初の国である。では、その前回開催時に思わぬ舞台裏があったとしたら――。
W杯開幕を狙って配信開始されたNetflix映画『メヒコ 1986』は、メキシコへのW杯招致のため奔走する官僚を描く異色の風刺コメディ。史実や逸話、噂などの虚実を混ぜ合わせながら、当時の舞台裏を再構築した”偽史実話映画”だ。

1986年メキシコW杯、開幕の舞台裏?
1986年のワールドカップといえば、サッカーファンの間では、アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナが、準々決勝の対イングランド戦で疑惑の「神の手」と、驚異の5人抜きという”世紀のゴール”を見せつけ、チームを優勝に導いたことで知られる大会だ。
その伝説の裏側には、なんとかしてメキシコに大会を持ってこようと奮闘した人々がいた。物語の主人公は、メキシコを2度目の開催国にしようと目論む、メキシコサッカー連盟の新会長マルティン・デ・ラ・トーレもちろん、彼は実在する人物ではない。

1983年、連盟の会計係であるマルティンは、仕事も家庭もうまくいかないこと毎日で、怒りと野心を静かにたぎらせていた。しかしある日、3年後のW杯開催国となるはずだったコロンビアが国内事情を背景に開催を断念。これを知ったマルティンは、テレビ番組にスクープをたれ込むと、弱腰の連盟会長を公に批判する。
この事件をきっかけに、メキシコの巨大テレビ局・テレビサの会長であるエミリオ・アスカラガ(実在)はマルティンを気に入った。これをビジネスチャンスと見込んだエミリオは、マルティンを連盟の会長職に押し上げると、必ずやW杯をメキシコに招致せよと命じる。さもなくば、メキシコにお前の居場所はなくなるぞ、と告げて。
かくしてマルティンは、メキシコサッカー界の有力者であり、FIFAにも深く通じるギジェルモ・カニェード(実在)とともに、同じく開催国に立候補したアメリカとの戦いを繰り広げることになる。

史実も噂も伝説も、ごちゃまぜに描く
主演・製作総指揮を務めたディエゴ・ルナは、自身が演じたマルティンが、当時の国家や体制に仕えた官僚たちの要素を組み合わせた架空の人物であることを明かしている。史実だけでなく、魅力的な噂や伝説、さらに脚本家の創作をもひとりの人物に織り合わせたキャラクターなのだ。
メキシコのため、各国のため、国際関係のため、企業のため、選手のため。度胸があるのか情けないのかさえわからない、けれども人間味あふれるマルティンは、アスカラガの後ろ盾を受け、さまざまな策を弄しながらすべての利害を調整してゆく。

開催前年の1985年9月、メキシコを大地震が襲った。ルナにとっても、この母国の悲劇を描くことは重要だったようだ。地震当時は「とても悲しい」空気と「どうしようもない無力感」があり、「あれほどの破壊を前に、ワールドカップを想像することは不可能だと思えた」と振り返っているのである。
そのメキシコで、9か月後にワールドカップを開けるのか――。マルティンは言う、「ワールドカップを開くことで人々に希望を与えたい」「我々は負けない、この国こそ開催にふさわしい」と。
言わずもがな、ワールドカップといえば全世界の注目が寄せられる巨大コンテンツ。メキシコにとっては地震からの復興をアピールする、そしてテレビサにとっては自社ネットワークと放映権ビジネスを拡大する絶好の機会だ。しかし、国家と企業、そして大会の権威と価値を握るFIFAの利害が一致したとき、W杯は国民の祝祭となるのか、それとも?

2026年にも通じる「W杯の陰」
主人公マルティンの栄華と没落を主軸としているゆえ、語り口はきわめてライトで、風刺コメディとはいえ政治やメディアの腐敗を強烈にえぐる鋭さはない。それでもほのかに香るのは、1986年から40年経ってなお、ワールドカップという祝祭を支えるものが変わっていないという事実だ。
2026年大会では、猛暑対策として全104試合の前後半それぞれに3分間の給水タイムが設けられたが、これはテレビ中継の新たな広告機会となった。試合の観覧チケットも高騰しており、決勝の上位チケットは高いもので3万ドル台まで上昇したという。また、現在の社会情勢を反映し、厳しい警備や小型ドローン対策が実施されているほか、問題視されるほど厳格な入国管理も実施されている。

祭典の開幕に世界が沸き立つなかで放たれた本作は、「W杯とは、国家や企業の思惑と巨大ビジネスが絡まりあった祝祭である」と言わんばかりの喜劇。もっともNetflixは、ドキュメンタリーシリーズ「FIFAを暴く」(2022年)でFIFAの汚職の歴史を扱うなど、こうした題材を以前から厳しい視線をもって見つめてきた。
その一方、NetflixがW杯の開幕にあたり、FIFA公式ゲーム「FIFA World Cup: Launch Edition」の配信を開始しているのも興味深い。同作はテレビとスマートフォンを使って”W杯の試合をプレイする”のがコンセプトの作品だから、『メヒコ 1986』と並べてみると、ひとつのプラットフォームが抱えている二面性が浮き彫りになるではないか。
題材に比すると軽やかで楽しい一本(96分という短さもいい)ながら、そこにはスポーツと政治、メディアの切り離しがたい関係という、近現代史における重大なトピックが横たわる。W杯の熱狂のさなか、その裏側にある力学をのぞき込むにはピッタリの作品だ。














