Billboard JAPANが運営する書籍の総合チャート「Billboard JAPAN Book Charts」。本チャートは紙書籍と電子書籍、サブスクリプション、図書館での貸し出しなどを合算した総合ブックチャートだ。総合チャートに加えて文芸や漫画などのジャンル別チャート、発売年別のチャートなど全8種類のチャートが存在。月曜日から日曜日までの各種データをもとに生成されたチャートが翌週木曜日に毎週公開される。この記事では、7月23日に発表された文芸部門のチャートを解説し、その中から2冊をピックアップして紹介する。
直木賞受賞作&芥川賞受賞作がランクイン
今回は7月13日から7月19日までのデータを元に解説する。1位は村上春樹の最新作『夏帆 The Tale of KAHO』。2位には凪良ゆうの『星を編む』がランクインした。本作は今週7位の『汝、星のごとく』(凪良ゆう著)の続編で、『汝、星のごとく』で語りきれなかった愛の物語。7月15日に文庫版が発売された。『汝、星のごとく』は10月に実写映画公開が控えており、両作とも長くランクインすることが予想される。
7月15日に芥川賞・直木賞が発表されたこともあり、今週のランキングはその影響も大いに受けている。10位には第175回直木賞を受賞した朝倉かすみの『けんぐゎい』が初のチャートイン。本作は朝倉氏初の時代小説で、自我に目覚めた主人公が女の生と向き合う物語だ。文政期の江戸を舞台に、痘痕のある姉・ふゆと、逆上せ癖のある妹・りよという対照的な姉妹の運命を軸に描かれる。
また、17位には第175回芥川賞を受賞した小砂川チトの『ゾンビ回収婦』も初ランクイン。本作の主人公「わたし」とその夫は、AIの代替によって、ある日いきなり仕事をクビになってしまう。「わたし」はVRヘッドセットを着用し、ゲームの世界へと入っていく。
ほかにも、15位には2.5次元アイドルグループ「すとぷり」のメンバーであり、ソロアーティスト・声優・クリエイターとしても活躍する莉犬の初の自著『生きづらいぼくたちへ』が初登場。19位に原田ひ香の『古本食堂 新装開店』が初登場した。本作は原田氏の『古本食堂』の続編で、神田神保町の小さな古書店が舞台の物語。神保町のおいしい食と思いやり深い人々、人生を楽しく豊かにしてくれる本の魅力が詰まった作品となっている。
現実と虚構が混ざり合う世界観 芥川賞受賞作『ゾンビ回収婦』
今回は17位の『ゾンビ回収婦』と20位の『ツミデミック』をピックアップする。
『ゾンビ回収婦』は、AIの登場と進化によって主人公の「わたし」と夫がほとんど同時に仕事を失うところから物語が展開する。動揺する「わたし」とは反対に、夫は「しばらくのあいだ、演奏旅行にでてきまーす!!」と書き置きを残してどこかへ旅立ってしまう。その後「わたし」は夫のVRヘッドセットを見つける。それを装着すると、たちまちゲームの世界へと入り、「わたし」の前にもうひとつの現実が現れた。そこで「わたし」は、あるホテルで掃除婦になり、ゾンビの体を回収していくのだ。
あらすじだけを読むと、SFやディストピアの世界観を持っている小説のように見える。実際に読み進めていくと、虚構と現実が行ったり来たりしているような印象を受け、やがて2つの世界が混ざり合っていく。しかし、この物語の中には「働くことの意味」や「AIと人間」、「自分の存在意義」といった、現実的なテーマが潜んでいる。
中盤ではゲーム内で「わたし」がクマのぬいぐるみの“先生”と議論し、心情を吐露する場面がある。その中で彼女が吐き出した「報われたい」「認められたい」という感情。この気持ちはおそらく私たち誰もが多かれ少なかれ抱いたことのある感情だろう。
働く大きな目的のひとつは、金銭を得て生きていくことだ。しかし、感謝も評価もされないまま、ただ役割をこなしている日々が続けば心はすり減り、それこそゾンビのようになってしまうのではないだろうか。「わたし」は現実世界で仕事を失い、ゲームの世界で仕事を見つけた。夫が旅に出た一方で、彼女は別の世界でも働くことをやめられない。ゲームの中で働く彼女は、「報われたい」という気持ちを抱えつつも「役割がある」ということに取り憑かれているようだった。
読み終わった後は「現実とは?」「虚構とは?」「そもそも働くとは?」とさまざまな疑問が頭の中でぐるぐると巡る。一度ですべてを理解する物語というよりも、話の中で起こるさまざまなことやゲーム内で「わたし」が発する言葉のことを考えながら、繰り返し読んで解像度を上げていきたい物語だ。
今も日々AIは進化しており、AIによって効率化されている業界も多く存在する。何年後かにこの物語を読み返したとき、私たちはどう感じるのだろうか。
パンデミックを背景とした『ツミデミック』 一穂ミチの描く「人間らしさ」
『ツミデミック』は、コロナ禍を背景にした短編集。パンデミックによって職を失った登場人物が出てきたり、持続化給付金の話題が出てきたりと、2020年から2023年頃のことを想起させるような短編が詰まっている。本書は第171回直木賞を受賞した。
テーマからして暗い作品たちを想像してしまうが、それだけではない。確かに、コロナ禍に感じていた窮屈感や不安感、焦燥感を思い出すような描写があることは事実だ。しかし、その中にも人と人とのつながりや、優しさが感じられる話も収録されている。本作は、コロナ禍に抱えていたやりきれなさと、それでも近くにある小さな光がバランスよく描かれている作品集だ。
一穂氏の描く登場人物は、どうしようもなく「人間」らしい。人間は健やかな感情だけでなく、ドロドロとした感情も抱えているものだ。その人間らしさがリアルで、やるせなくて、愛おしい。
本書に収録されている『特別縁故者』の主人公・恭一。彼はコロナ禍の影響で調理師の職を失った。やる気をなくし、家に籠りがちになり、家計は妻が支えている。ある日、息子の隼は、近所に住む老人から1万円をもらって帰ってくる。恭一はそれをきっかけに老人に近づいていく。
恭一の心には「どうやら近所に住んでいる老人は金を持っているらしい。気に入られれば良いことがあるのではないか」という下心が芽生えていたのだろう。正直その考えは浅はかで、第三者の視点から見ていると情けなくもなる。
しかし、下心がない人間なんているのだろうか。恭一はただだらしない人間というわけではなく、もともとはプライドを持って仕事をしていた人物だ。パンデミックをきっかけに少しずつ膜のようなものが剥がれ、人間の欲望がむき出しになってしまったのかもしれない。自分でも少し後ろめたくなる感情は、余裕がないときにじわじわと心を侵食していく。
文庫には、文庫版書き下ろし『わたしの春』が収録されている。小学生が主人公のアフターコロナの物語で、最後に読むと子どもの切実な思いに胸がきゅっと切なくなる。私たちは良くも悪くも、あの必死で出口が見えなかった日々を忘れてしまう。人と触れ合うことがどれだけ大切なことだったか思い知らされたあの頃の記憶が薄れている今、改めて読みたい物語だ。














